篝火纏う神楽巫女
夕刻。
沈み行く日にオレンジに照らされても、決して見栄え良いとは言えない草間興信所の入った雑居ビル。
それに嫌味でもいうかという程に完璧に磨き上げられた黒いリムジンが、雑居ビル前に止まる。
「おおおーーーーーい、おーやびーーーーん」
しばらくの間。
「あん?鵺か?」
興信所の窓がいかにもたてつけの悪そうな音を立てて開き、草間武彦が顔をだした。いつものように紫煙をくゆらせている。
「おやびんパーティーいかなーい?」
「……パーティー?」
「そう、社交パーティー! ホントはパパと行く筈だったのに、今実家が絶賛抗争中でさ、そっち行っちゃったんだよね」
「ふむ」
「パートナー無しじゃ行けないし、辛うじて一応社会通念的には成人男子のおやびんにエスコート! オネガイしに来たんだけどさ」
「辛うじてはないだろう、辛うじては」
「ちなみに集うのはセレブだけど、黒幕政治家とか悪代官とかそういう人種の集まるとこだよ」
「ほう……」
草間は多少職業的興味をそそられたようだ。振り返り、今晩の調査予定表に眼をやる。
空白だ。一張羅のスーツは昨日クリーニングから返ってきている。
「オーケーだ、行こう。」
いかにもといった風情だった。最高級ホテルの最大会場を借り切った立食パーティー。きらめくシャンデリア、分厚い絨毯。その上で、いずれも黒い噂の絶えたことがない面々があちこちで歓談している。密談、商談、そして……おべっか。有力極道首領の養娘である鵺のもとにも、機会あらば口利き願おうと多くの者が群がってくる。彼らを適当にあしらい、ときには父の敵意をほのめかして青くさせてみたりして、それなりに鵺は楽しんでいた。少し離れて立つ草間も程ほどに飲食したのち、所在なさげを装いながら探偵らしく聞き耳を立てている。
このまま夜は更け、裏社会の怪物たちはそれぞれのねぐらへ……とはいかなかった。
会場にながれるゆるやかなジャズに最初に混入したかすかな異物は、遠く聞こえるホテルマンの静止の声。それに意も介さず、扉の向こうから無数の乱暴な足音が近づき、そして会場に突入してきた。
武装した数十人の、見た目から明らかにわかる、ヤクザ達。
いくらそれぞれの裏社会を牛耳るセレブたちといっても、金は命あっての物種。何があったか知らないが、こういうときは先生方、逃げ足が速い。全員が逆側二箇所の出口に殺到、避難訓練のお手本にしたいほど、サッパリと逃げおおせ、鵺と草間のみが、ぽつんと取り残された。
(あは、やっぱりきたきた)
鵺は心中ニンマリ笑った。
「子供じゃないですか。こんな人数要るんすかね」とチンピラがぼやく。
「ただのガキじゃないらしい。気ィ抜くな」
草間はというと、苦い顔をしながら闖入者たちを冷静にカウント、分析している。
(1、2……、全部で20人と少し。そのうち小型アサルト所持が4人、見えるだけでも半数が短銃所持、残りは少なくともドスか鈍器ぐらい持っているだろう。逃げるには分が悪いな)
鵺の能力は知っているものの、草間の心情としてやはり殺人はさせたくない。後片付けも厄介だ。できれば鵺を連れて逃げおおせたかった。
(さて、どうしたものか)
そうする間にも一人のヤクザが草間の前にすっと近づき、短銃の銃口を彼の眉間に向けると左目を閉じ照準をピタリと合わせた。
「兄ちゃんがこの娘の護衛さんかい」
「……そうなるんだろうな」
「悪いがおとなしくしててもらうぜ、兄ちゃん。こっちはそのガキさえ連れて帰れりゃそれでいいんでね、兄ちゃんの命とろうとはいわねえよ」
「どうだか」
「くく、勘がいいな、兄ちゃん。どっちにしろもう遅いがね」
(ちっ、やるしかないか)
「この場合、片目を閉じて照準を合わせるのはよくない。遠近感もあるが、死角も大きくなる」
「あん?何いってんだ兄ちゃんよ」
「つまり――この距離では!」
いうが早いか草間はバックモーションなしの右前蹴りでヤクザの短銃を弾き飛ばし左足で地面を蹴り踏み込むと、右足の着地の勢いでヤクザの喉笛にフックを叩き込んだ。そのまま近くの丸テーブルの下に滑り込み、方向をはかって押し上げ、思い切り横倒す。飛び散る最高級料理と最高級の酒が、草間の一張羅に降りかかる。
「野郎、かまわん、殺れ!」
リーダー格らしきヤクザの一声とともに、草間に向かって4丁の小型アサルトライフルの一斉連射がはじまった。が、流石は超一流ホテルの備品のテーブル、弾は貫通しない。しかしこの動けない状況では時間の問題だ。
「鵺!なんとかしろ!鵺……」
そう、鵺はといえば――
「きゃー、おやびんさっすがハードボイルドぉ! クール! やっるぅ〜! いけっ! そこだぁっ!」
――喜んでいた。
「こら、ふざけてられる状況じゃないだろう!」
「あ、あぁっ! おやびん後ろ!」
「なっ」
発砲音が、大きくテーブルを回り込み、背後に立ち携帯用棍棒を振り上げた敵の存在を、草間に気付かせないでいた。
ガツン。
「……手間ぁ、かけさせやがって」
後頭部を強打され、草間はゆっくりとくず折れた……。
「さぁて、次はそっちのお嬢ちゃんだ」
「あくまでも拉致って帰れとのオヤジからの命令だ。やりすぎんなよ」
倒れた草間を見て。
鵺の頭の中でプツンと音がした。
(よくも、おやびんを)
そして纏った面。その妖怪人格の名は。―――”ケルベロス”
三つの口を持ち、裁きの業火を放つと恐れられた西欧の妖し!
鵺の両手と……そしてシャギーショートの髪を波うたせながら、白い陶器の如くつややかな両頬からも。
紅い、紅い妖気が噴き出し、今にも炎を吐き出さんと渦を巻いている。
人造ルビーのきらめきの中、見開かれ赤く澄んだ目もまた怒りに燃えている。
ヤクザ達の視線が一斉に鵺に集まり釘付けにされる。そして怒りの女神の化身である如きその姿は、彼らの背筋を完全に凍らせた。
地獄の番犬の脚力で、しかししなやかな鼬のように……
鵺は、跳んだ。
恐怖と驚愕で動けないヤクザどもの群れの只中に。
真紅のドレスのスリットをなびかせながら、鵺がその細腕を一振りするたび、紅蓮の熱風が帯状に発せられ、黒服どもを焦がしながら薙ぎ倒し、吹き飛ばす。
炎が、彼らが帯びた火器の弾倉に引火し、小爆発を起こす。ヤクザ達の腕が、指が、乱れ飛ぶ。
その中心で赤く、瞳とルビーを輝かせながら舞うように炎を振るう鵺。
その彼女の姿はまるで、美しい炎の舞踏。
"轟火"絢爛たる、死を呼ぶ神楽。
半狂乱になったヤクザからのやみくもな掃射があったが、今の彼女の視神経、動体視力には銃弾などトロいハエのようにしか見えはしない。
かすりさえする筈もなかった。
リムジンの運転手はキーを残したまま逃げ去っていた。鵺の能力によって意識を取り戻した草間が、無言で運転席に入る。鵺も黙って、今度は助手席に座った。
「鵺」
「……ん?」
「知ってて言わなかったな?」
「えっ、なんのことやら、しし知らないよっ」
「そうか、ならいい」
草間の運転するリムジンが鬼丸邸の方向に発進する。
「……フッ」
先に吹きだしたのは、草間のほうだった。
「……プふっ」
つられて鵺も吹きだした。
「フ、ふははは」
「あは、アハハハ」
「ふははは、はは、ははははは」
「あはは、ハハ、アハハハハハハっ」
血と硝煙でドロドロのドレスを着た少女と、ソースやらワインやらでシミだらけのスーツの探偵。
爆笑する二人を乗せたリムジンが、東京の夜の闇にゆっくりと消えていった。
Copyright (c) 2006 isamu akisima All rights reserved.